阿蘇・なみの高原 やすらぎ交流館
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解説文

               知事の塔(知事さんの塔)の由来
 明治三年七月(一八七〇)熊本藩第二代知事細川護久は三〇〇年にわたった農民の重税を軽減することを藩政の改革の第一と考え本税の三分の一に当たる雑税を免除した。
 この税の軽減に対する村民の感謝の気持ちを示すため、九曜の紋と布告文を刻した碑を建て、春秋二回この碑の下で知事様祭りをしたといわれている。(昭和一五年ごろまで)
 この碑は本村では荻岳頂上(高柳村、滝水村、中江村)、楢木野(楢木野村、鳥越村、南村、池鶴、高柳村三戸、下横堀村二組)、赤仁田、小池野、笹倉の五ヶ所に建てられている。  荻岳頂上のものは甲斐有雄の刻で、裏面に碑建立の趣旨や和歌なども刻され、大きさ、様式、文字、彫刻など実に立派であるが、海抜八四三・二bの山頂にあるためか風化が進み、碑文が判読し難しいところもある。

現なみの村には「知事さんの塔」(波野村教育委員会) =研究者の間では知事様塔もしくは知事藤と呼ばれている=五基の石碑が現存している。大小の違いがあり、建碑年代も確認できるものと出来ないものとがあるが建立の年代には相違がある。(荻岳は明治六年一月、小池野は明治六年未四月、笹倉は明治六年五月)しかし、いづれの塔も碑の前面に細川家の九曜星紋が刻まれ下に次のような文書が刻記されている。

今度我等知藩事の重任を●候ニ付両者 朝廷之碑趣意を奉し正四位様厚き恩招を継て管内の●民うへこ。
えのうれへなく各共処を得せしめむ事を希ふ中にも百姓ハ暑寒風雨もいとはす骨指で貢を納め夫役をつとめ老人子供病者にさへ●に着せこゝろよく養ふことを得さるは全く年貢夫役のからき故なり我ふかく恥おそるいかにもして此くるしむをとかむとおもへとも今直に本免をくつろくることを得す矢左之通

一上米   一口米三種   一会所●村出来銭

右●々を差ゆるしめはた又壱歩半米は凶年損毛償の為に備をきしことにさむらへとも向後をさむるに及ばず是迄の請免を●の定免とこゝろへいよいよ農業に精をいれ老幼養育しあまりあるものは親族組合等の難渋をすくひ相互に人たる道をつくすへきもの也
 七月                                                     知事

                                  平成十一年十二月  波野村教育委員会

中江の知事さんの塔
荻岳山頂にある中江の知事さんの塔
赤仁田の知事さんの塔
赤仁田の知事さんの塔
小地野の知事さんの塔
小地野の知事さんの塔
楢木野の知事さんの塔
楢木野の知事さんの塔
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